「黒田官兵衛の軌跡をたどる」

昨日 歴史資料館の 第1回自然史・歴史講座 「黒田官兵衛の軌跡をたどる」に
参加しました。 まずバスで福岡城祉へ移動・・・到着後 4つの班に分かれ
それぞれ ボランティヤのガイドの方から説明を受けながら お城を見ていきました。

前日の雨が嘘のようなお天気で 初めてまぢかに見る石垣にもわくわく!!
これは 藩主が通った道筋の最初にある石垣で 東御門へとつながっています。
石垣の真ん中の上部にある おにぎりのような形をした大きな石は 「鏡石」と
言って お城の石垣全体の ” 威 ” を 表すものだそうです。
ちなみに 官兵衛は 加藤清正 藤堂高虎と並び 築城の名手と言われています。

こちらは 鉄(くろがね)御門跡 いざという時には 鉄の扉が閉まり 通り抜けが
出来なくなったそうです。ここから いよいよ 天守台跡へと登っていきました。

こちらは 天守台跡から 大濠公園を眺めた景色です
いままで 福岡城に天守閣があったのかどうかは 謎とされてきました。
天守台の位置は ビルが立ち並ぶ現在でも博多港が見渡せるほど高く
立地的にその必要がなかったからだとか・・・
でも お城に天守閣がないなんて・・・ と思います。

全国屈指の巨城であるにもかかわらず 天守閣がなかったというのが定説でしたが
近年 研究により天守閣が一時期存在したことを裏付ける資料が 浮上してきた
そうです。 元和5(1619)長政と同じく豊臣家ゆかりの広島城主・福島正則が
幕府の許可なしに居城修築を行ったとして津軽へ改易されたことが 天守閣の
取り壊しにつながったと考えられています。
実は お城を見ていくとき 全員がタブレットを持って見ていきました
たとえば 天守台跡で そのタブレットを天守閣があったと思われる場所に
かざすと タブレットに天守閣が映し出されるようになっていたからで
仮想空間であっても 天守閣が見られて とても嬉しかったです。 

お昼からは 黒田家の菩提寺である 崇福寺にいきました。
山門は 慶長年間に建立された 福岡城本丸の表御門を 大正時代に
移築したものだそうです。
 如水公墓碑
 最初の行に 荒木の文字が・・
 光姫の墓碑
 初代藩主 長政公墓碑
墓地には 若くして亡くなった次男の墓をはさむようにして 3つの墓碑が並び
その横に 歴代藩主や子供 後室・側室の墓碑が並んでいました。
NHKの大河ドラマでは いままさに 官兵衛の精神世界に深く影響しただろう
と思われる 有岡城の幽閉の部分が放送されています。後年 荒木村重とは
ふみを交わすほどになったとのことです。 官兵衛が一生をかけた闘い 貫いた
精神を しっかりと観なければとおもいました。

最後にもう1枚 福岡城址の写真を・・・ほんとうに目に染みるような緑
藤棚もあちこちに見うけられたので また 満開の頃来ようと思います。
TERA