「 薦野増時の軌跡をたどる 」

 先日 古賀市立歴史資料館の 第4回自然史・歴史講座 
「 薦野増時の軌跡をたどる 」に 参加しました。
薦野氏は 市内で最も勢力のあった豪族で 増時は 16世紀中ごろ 薦野の地の
領主である薦野家に誕生し 立花家 黒田家に仕え その忠義と才から さまざまな
逸話が残っています。 
古賀市史跡案内ボランティアの方の説明を受けながら 最初に新宮町の
梅岳寺に行きました。( 新宮町立花口 )

戦国時代 薦野家は 大友家の一統で 古賀を含む地域を 直接治めていた
立花家に仕えてました。増時は大友家から派遣された戸次鑑連(後の立花道雪)に
仕え 信厚く武勇に優れ あらゆる面で抜群の器量人であったところから
男児のいなかった道雪の養子に請われますが固辞します ただ 道雪が存命のころ
功労のある増時に褒美を授けようとした際 許されるならと 死後道雪公の傍らに
葬られることを望んだので 道雪はいたく感銘してその申し出を受け入れたそうです。

梅岳寺に分骨された 道雪(向かって右)と増時(向かって左)の墓
(中央は 道雪の母 養孝院のもの)

境内にある 千人参りの札所(四六番)

境内に咲いていた お茶の花

昼食後 まず 薦野の清瀧寺に行きました。
天台宗の古刹ですが たびたびの火事で焼失し 明和4年(1767年)
立花増厚により再建されました。今回 ご住職に その時の棟札を見せて頂きました。
また 薬師堂の境内には 県指定天然記念物のイスノキ(樹齢300年)があります。
 
次に 近くにある 増時のお墓に参りました。
増時は元和9年(1623年)81歳で死去し 薦野の養徳山(現、小松ヶ丘)に
埋葬されました。

増時と黒田官兵衛とは ほぼ同じ頃生まれたそうで 3回ほど出会いがあったそうです。
最初の出会いは 増時が立花宗茂の名代として 秀吉に謁見したときで その時
仲介の役を担ったのが 官兵衛だったそうです。その時の縁もあり 筑前入りした
官兵衛は 増時に士官するように求めますが 既に高齢の増時は代わりに 息子の
成家の士官を願い出ました。増時は 忠義に厚い人で なおかつ先が見通せる人だった
そうです。そこを見抜いた官兵衛により 薦野家は黒田家の家臣として 代々仕える
こととなりました。
以前から 薦野増時のことを もっと知りたいと思っていた 私にとって
この講座はほんとうによい勉強の機会となりました。 400年以上昔に
あった事が 強く響いてきてとても嬉しかったです。
TERA